見てくれた人:人
Sunaの仲間のヒトビト
Sunaの観測地点
Sunaの聞いてる曲
友人の紹介で、生態学会のバイトをしてきた。
学問的な交流の場が、どう営まれているかを覗くことができ、たいへん興味深かった。ポスター発表や口頭発表で、多数の専門家達を前に自分の研究を公表し、評価を問うという行為を通して、ダイレクトに学問的な価値を試される場なのだという事が伺えた。
若いながら理路整然と発表をこなす研究者や、発表者が予期していなかった角度から質問やアドバイスを出す研究者達を見て、現場でプロに問う事は大事だなと思った。
参加費や学会費は安くは無いものだけど、学生なら少し安くされるようだし、将来活動するつもりならば参加することは勉強になるかもしれない。研究室によっては卒研で学会発表させる所もあるらしく、学会で認められるような成果を出すという事が一つの目標になった。
まぁいつできるかはわかりませんが。
当たり前の事なのかもしれないけど、最近実感したことなので記録しとく。
たとえ表立って語る事が苦手でも、そこに居ることで伝わる事がある。
だから、誰かと時間を共有する事は大切なのだ。
また、たとえしばらく会う事がなくても、その人が生きて何かをしているという事が一つのメッセージになっている。生きて、誰かと繋がっている限り、全てと無関係で居る事はできないわけだ。これは同時に、誰の影響も受けずに生き続ける事はできない事も意味していて、誰にも影響を与えずに生きる事も不可能なことを意味する。
そして、人は今までにしてきた事、しなかった事の総和としてそこに在るのであって、現時点に生きている全ての人は、それまでに生きた人生を象徴している。本人の意図の有無に関らず、全身で過去を語ってしまっているものなのだ。
これはある意味恐い事だけど、未来の自分は今の自分の在り方でいくらでも変わり得るという事でもある。
だから、できれば少しでも多くのメッセージに耳を傾ける事が出来る人になりたいものだと思う。そして、自分が、生き方という形で発しているメッセージが、自分で納得できるものであるかどうかについて、責任を持てるようになりたいと思う。
サイト構築中…完成はいつの日か。
連絡先:
_ 156 [今回は参加できなくて非常に残念だった。 またこんなバイトがあったら次こそ行きたい!]
_ suna [短期のだったけど、充実してました。 少しだけど勉強にもなったのは良かった。]